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REPORT

若年性認知症の人の社会的役割

社会から必要とされなくなる恐怖 -若年性認知症-

この度、若年性認知症のAさんに、経験談をお伺いしました。

私は、スポーツカーが子どもの頃から大好きで、58歳の時に、長年、働いてきた自分へのご褒美として、ずっと憧れだったスポーツカーを購入しました。その車に乗り、休日にドライブに出掛けるのが私のささやかな楽しみだったのです。

そんな中、59歳の時に、仕事で納期に間に合わない等のミスが続き、お客さんや同僚から何度か指摘されたのです。自分自身に限って、同じミスを何度もするわけがない、心の病なのかと思い夜も眠れない日が続いたのを覚えています。そんなことがきっかけで病院受診をすると若年性認知症と診断されました。(※若年性認知症とは、65歳未満で発症する認知症)まさか自分が認知症になどなるわけがない、若い自分が、何かの間違いだ。絶対に誤診だと思い、再度病院へ行って調べてもらいましたが、診断は変わりませんでした。家族から、すぐに免許証を返納して、車を手放すようにとの提案がありました。車が生きがいだったために、ものすごく抵抗があったのですが、事故を起こしたら家族にも相手の人にも迷惑をかけると考え、泣く泣く、免許証を返納し、車を売却しました。この時の苦しさと悔しさは忘れることが出来ないのです。

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私は、大学を卒業後、技術職として企業に長年勤め、海外赴任して現地スタッフに技術指導をしたこともありました。自分で言ってはなんですが、若い頃から技術が高いとの評価を受けていたと感じていました。しかし、定年退職前になって認知症と診断されてからは、大事な仕事は任せられないと単純作業ばかりになりました。定年間近のために職場の中で籍は置いてもらえましたが、誰にも頼りにされない状況や以前と比べ周りの冷たい視線が、とても辛かったです。身体は動くからまだまだ働けると自分では思っていたのですが、65歳までの雇用延長はしてもらえず、退職を告げられた時は、とてもショックでした。

退職後、孫にも何か買ってあげたいからと仕事を探し続け、やっと見つけたのがクリーニング工場でのアルバイトでした。すぐに忘れてしまうことは、自覚していたため、メモを取りながら一生懸命仕事を覚えようとしました。しかし、一度覚えたことを忘れてしまう。自分では、忘れた自覚がないものの周りの顔色や雰囲気を見て、何か失敗したのだと分かるのです。上司から度々叱責され、精神的にもまいってしまい3ヶ月程で退職をしました。お金も稼ぎたいですが、自分を必要としてくれる場所が、社会からも家からも無くなっていく不安がとても大きかったです。

自宅にいても何もすることがありません。決まった時間に散歩に出かけるものの、散歩コースが分からなくなり、道に迷ってしまったこともありました。自分では家に向かっているはずなのですが、いつまで経っても、家にたどり着かず、暗い夜道をさまよい歩き続け、近くを歩いていた人の助けを求めて、その結果、パトカーで自宅まで帰ってきました。それでも家族は優しく接してくれたのが救いでした。

そのようなことも続き、仕事はあきらめ、自分を支援してもらえる福祉サービスを妻が中心となり探しました。しかし、若年性認知症の支援をしている福祉団体はほとんどなく、なかなか見つかリません。一般のデイサービスは、ご高齢の方ばかりで、若い私とは会話が続かず、なぜここに来なくてはいけないのか全く理解が出来ず、ここは自分の居場所だとは感じませんでした。それから1年以上経って、自宅から車で30分程の場所に若年性認知症の人が子ども食堂のスタッフとして関われるデイサービスセンター「けやきの家」があることを知りました。自分に出来るかと不安はありましたが、胸が高まる気持ちもあり、早速連絡し、通ってみました。

毎週金曜日に、学校を終えてお腹を空かせてきた子どもたちにご飯を作って提供します。食べた子どもたちは、とても喜んで笑顔で私たちが作ったご飯を食べてくれ、自分が必要とされることを久しぶりに感じることができました。

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私は、いつしか自宅に帰ってからも子どもたちが喜ぶメニューは何だろうかと考え、妻に相談することもありました。しかし、コロナ流行後は子ども食堂に、子どもたちが集まり食事をすることは難しくなったため、子ども達へはお弁当を配っています。子どもたちの顔が見えず何だか寂しい日が続きました。今はコロナ対策をしながら一日一組の親子だけに、手作り焼き立てパンを中心としたコースメニューを提供する『一組食堂』を行い食事を提供しています。ここでは、私が子どもたちに、そしてご飯を作る仲間に必要とされていると実感することができています。今は、これが私の生きる楽しみなのです。

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