REPORT
活動レポート
平均発症年齢51歳 居場所がない「若年性認知症」の社会課題
令和6年1月1日施行の『認知症基本法』では、若年性認知症(65歳未満で認知症となった者)の人の社会参加の機会の確保等には意欲及び能力に応じた雇用の継続、円滑な就職等に資する施策が掲げられています。 若年性認知症の人の平均発症年齢は51歳のため、働き盛りで解雇や退職等により経済的に困窮することが多いのです。2020年の埼玉県の調査によると有病率は10万人に対して50.9人であり埼玉県内では2,200人が発症していると推測されます。また、同調査によると若年性認知症を受け入れている介護施設は6.1%のみであり、その中でも若年性認知症に特化した活動を行っている事業所は、数えるほどしかない状況です。本人に就労意欲があるものの、解雇や退職、休職となる人が約8割を占めています。(出典:2020年3月 埼玉県若年性認知症実態調査)若年性認知症当事者に話を聞くと「福祉施設など行きたくない」「高齢者と同じ場所で活動するのは違和感がある」との言葉が聞かれます。
大手企業に勤務していたFさんは、忙しいながらも仕事では多くの部下の育成を担い、家庭でも二人の子の父親として充実した生活を送っていました。そんな中、仕事中に部下から「昨日は重要な会議でしたが、なぜ来なかったのですか・・」ときつい口調で言われたのです。自分では会議の予定がはいっていたことを全く覚えていませんでした。その後も書類の記載ミス等が重なり周りの職員から「Fさん疲れているのではないですか・・」上司からは「一度受診してみてほしい」と病院受診を勧められます。何かがおかしいと自分でも感じてはいたものの数回の検査後に「若年性アルツハイマー型認知症」と告げられたときは大きなショックでした。『自分はまだまだ働ける、日常生活を何不自由なく送れている。何かの間違いだ。誤診ではないか』と思ったそうです。59歳の時でした。
診断されたのは退職間際であったため、無事に60歳で定年退職できたものの雇用延長は出来ませんでした。まだ若く体力には自信があったため、単純な仕事なら出来るはずだと思い、お菓子工場で夜勤のパートを始めます。言われたことをその場では出来るものの、翌日には忘れてしまい、ミスが重なったため、わずか2か月で退職することになります。工場を解雇された後、行き場がなかったFさんは自宅で過ごしながら自分には生きる意味があるのかと悶々としながらふさぎこんでいたそうです。息抜きは近くを散歩しながらの写真撮影ですが、遠くまで行かないよう家族からも言われているため自由に行動出来ず、自分が自分ではないように感じたそうです。一人で歩いていると、ふと誰かと話をしたい・・大変だった仕事の日々を懐かしく思い出し涙が溢れてきたとのことです。
奥さんは介護職員として家計を支え、夜勤も行っています。住宅ローン、大学生の息子の学費、一人で家計を支えなくてはいけません。自宅では、寝たきりの母の介護も待っているのです。毎日が目まぐるしく休む時間もありません。「私が元気なうちはいいけれど倒れたら夫はどうするのだろう。家庭が回らない」と奥さんは言っています。奥さんは、地元の市役所や地域包括支援センターに相談にいくものの、夫の年齢が若いため、デイサービスセンターや行き場は見つかりませんでした。半年間探した後、隣の三芳町で若年性認知症の活動を始めることを知り見学に行ったのです。福祉のデイサービスセンターに行くのには抵抗があったものの、「けやきの家」は自分と同じ年代の方がたくさんいて、絶えない笑い声で楽しそうな雰囲気でした。見学時も自分を温かく迎え入れていることを感じ、通うことに決めたのです。「けやきの家」では、若年性認知症の人と地域のボランティアさん、職員で協力しながら夕飯を作り、子ども食堂を行っていました。これまで料理をしたことがなかったものの、手先が器用だったFさんはあっという間に上達していきます。周りからは「Fさん野菜を切って。お肉を切って・・」と次々と頼まれます。忙しいながらも共に働く仲間から必要とされる喜びを感じ、やりがいを持つことが出来たのです。慣れてくると、子どもが喜ぶ顔を想像しながら心を込めて調理をすることが生き甲斐の一つになったそうです。そして、同じ病気を持った仲間が明るく迎えてくれることを感じ、悩み事や冗談も言えるように元気になりました。
Fさんは中学時代、卓球部でキャプテン、県大会では3位になった実力の持ち主です。子ども食堂の室内には子どもとの交流を目的にして卓球台を設置しています。ご飯を食べ終わると卓球をする子ども達とFさん。子ども食堂に来ている卓球部の中学生のK君はなかなかの腕前です。しかし、現役卓球部のK君もFさんにはかないません。その後何度も挑戦するのですが、ぎりぎりのところでFさんには勝てずにK君は中学3年生の冬になりました。受験勉強のため、年明けからは子ども食堂にも顔を出しません。2月下旬、久し振りに顔を出した卓球部のK君、この日は公立高校の受験当日だったのです。受験を終えて真っ先にやってきたのは「けやきの家」であり、Fさんの元だったのです。「Fさん卓球しよう」と受験勉強のストレスを発散するかのように夢中で真剣に対戦しました。卓球台でのラリーは見ている周りもハラハラドキドキするほど白熱したものです。「K君頑張れ」と、友達から声がかかりますが、やはりFさんにはかないません。寒い時期ではあったものの汗を流し、心地よい笑顔で「Fさん楽しかったよ。ありがとう」と元気に挨拶をしてK君は帰っていきました。そんな顔を見るとFさんも「僕も子どもの役に立てているのかと思うと嬉しいよ」と照れながら話してくれます。若年性認知症であるFさんですが、K君から見ると卓球の上手な地域のおじさんなのです。
Fさんにとって「けやきの家」に来ること、そして仲間がいることが生き甲斐になったものの、行き場のない若年性認知症の人は多く、介護施設には自身の親のような年齢の方々ばかりがいるために居づらい。また、どのような活動をして過ごせば良いか分からないという声も聞かれます。同じ病気を抱えた方々はどのような生活を送っているのか話を聴き、少しでも力になってあげたいとFさんは語ります。
「けやきの家」ではそのような若年性認知症の方々の居場所として活動し続けています。
介護保険事業統括管理者 内城一人