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STAFF REPORT

約20年前、子どもの貧困対策を誰も行なっていなかった状況からの出発

このレポートを書いた人

事業統括マネジメント(在職期間:平成19年4月~)

古賀 和美

三芳町出身。今でこそマンションが建ち大型スーパーがあるにぎやかな町ですが、3歳の時に、私がこの三芳町に家族で越してきた頃は、畑が一面に広がるのどかな町でした。小学校の頃、友だちとハイキングに行った町内のお寺、子ども会でのさつま芋堀り、公民館での音楽会など、温かい地域の輪の中で育ったことを鮮明に思い出します。私を育み、見守ってくれた人たちに感謝しながら奮闘する日々を送っています。

クリスマスプレゼントから始めた子どもの貧困対策

「お父さんやお母さんがいない一人親家庭の子ども達がクリスマスに自分にはプレゼントは届かないと、寂しい思いをしている」と聞き、どうにかしたいという思いから、2004年にサンタクロースがクリスマスにプレゼントを届ける事業を始めました。当時の日本ではほとんど子どもの貧困対策は行われておらず、先例モデルがない中で手探りのスタートでした。

 この事業を始めると、10代後半くらいの若い女の子が、生まれたばかりの赤ちゃんを抱えて事務所に申込みに来ました。その後も、若い世代のお母さんの申し込みが続き、「この若さで子どもを一人で育てているのか」と、言葉にならない違和感を持ちました。社会で何かとても大変なことが起きていると直感しました。

 クリスマスイヴ、サンタクロースに扮しプレゼントを持って行くと、子ども達が「ありがとうサンタさん ぼくはいいこにします」と、覚えたての文字で書いた手紙を用意して待っていてくれました。きらきらした目でプレゼントを受け取るその子を見ながら、その年にご主人を亡くしたお母さんの目から、ぽろぽろと涙がこぼれました。「淋しくなりがちな季節ですが、心が温かくなりました。」という言葉に、この活動を始めて良かったと心から思いました。その子からその時もらった手紙は今も机の中にあり、疲れた時の栄養剤になっています。

このクリスマスプレゼント活動を始めて数年経った頃、とある一人親のお母さんから、プレゼントと一緒に届けているスタッフ手作りのクリスマスカードを子どもが大切に机の引き出しにしまっていると聞きました。お母さんが捨てようとしても捨てさせてくれなかったそうです。私が伝えたかった「見守っている人がいるよ。君はひとりじゃない」というメッセージが届いているということを確信しました。

一人親家庭などの家庭は親が仕事で家にいないことが多く、その子ども達は寂しさや不安を抱えながら、それでも、家計が苦しいことで多くのことを我慢して、家事や仕事で疲れ果てていく親を支えていかなくてはいけないとプレッシャーを抱えながら大きくなっていきます。そんな子ども達を支えていこうと強く思いました。

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無料学習塾の開始

クリスマスプレゼント活動をきっかけに母子家庭と関わるようになってから、一人親家庭は、平均的に収入が少なく、その家庭で暮らす子どもの学力も低い傾向にあるという因果関係が分かってきました。生まれ育った環境で将来が決まってしまう格差をどうにかしないといけないと思い、無料で通える塾の必要性を感じました。

ボランティアの学生達に話したら、多くの学生が賛同してくれました。一刻も早い方がいいと、早速活動を開始しました。2006年でした。

 中学3年生で参加してくれた女の子は、基礎学力を持たず、分数もBe動詞も正負の数もわからないのに勉強会を休むことはありませんでした。勉強が分かるようになりたいという思いが痛いほど伝わってきました。同時に、今まで全く分からない授業を毎日受けていたのかと思うと胸が痛くなりました。お母さんは仕事や家事で忙しく、子どもの勉強を見ることは出来ず、塾に通うお金もありません。この子たちに、学力で人生を切り開いていくことの楽しさを伝えようと心に決めて活動を続けました。そして、この女の子は、とても努力をして、高校、大学へと進み、理学療法士を目指しました。卒業年度、最初に受けた国家試験、彼女の結果は不合格でした。「貧乏な家の子でも夢が叶うということを古賀さんのために証明したかった。ごめんなさい。」と私の前で号泣しました。

でも、その後1年間勉強をがんばって、翌年には、無事合格し、今は理学療法士として自信をもって働いています。

この子は私の誇りです。

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子ども食堂の開始家に食事がない子ども達

 無料塾に通う子ども達の中には、夕食を食べていない子がいました。出されたお菓子を友達の分まで貪(むさぼ)るように一気に食べてしまいます。空腹から動けず横になってしまい、5分と勉強ができない子もいました。親が病気で働けないにも関わらず、祖父が残した自宅に住んでいたことから、生活保護が受けられなかった世帯では、ガスも止まり、食事もほぼありませんでした。地域の方たちと協力して、食べ物を届け、お風呂に入っていない子は銭湯にも連れて行きました。それでも満足に生活を支えることが出来なくて、歯がゆい思いばかりをしてきました。生活が困窮し1日3食満足に食べていない子どもたちが本当に多く存在したのです。

 ご飯を満足に食べていない子どもが多くいる。この事実を把握するには実は時間がかかりました。子どもたちは、親が責められるのではないかという思いから、「お腹が空いた」とか「家に食べ物がない」とか、自分が置かれた状況や、辛い気持ちを語ることがほとんどなかったからです。困窮世帯で生活する子どもの支援はとても根が深く、底が見えない、と思いました。

 

「食べる物がない子がいる」

「夏休みに給食がなくて痩せてしまう子がいる」

「子ども達がお腹いっぱい食べられる食堂を作りたい」

私の言葉に「すぐにやろうよ。今もお腹を空かした子がいるんでしょ。待ってられないよ」と賛同してくれるボランティアの方がいまいた。その2か月後にはその方と一緒に子ども食堂を始めました。様々な民間助成団体の助成金を申請する綱渡りの運営、もし助成金がとれなかったら、自腹覚悟のスタートでした。

給付事業の開始‥学用品やメガネが買ってもらえない子どもたち

無料学習塾や子ども食堂など困窮世帯で暮らす子どものために様々な活動を始めると、学校の先生から、「クラスひとりだけ習字道具を家庭で用意してもらえず、授業を受けられない児童がいる」「3㎝も小さな上履きを履いているのに保護者に買ってもらうことができない子がいる」何とかならないか、といった相談が入るようになりました。視力が悪く治療指示書が出ていても、親が精神疾患で対処できず、メガネを作れない子もいました。制度上の支援では、日本では親が申請しなくてはならないことも多く、親が疾患などで手続きが出来ない場合、子どもに支援の手が届かない場合もあるのです。

これらの問題を解決できない限り、子どもたちは将来に希望を持つことができないと感じ、学用品など学校生活や勉強、通学に必要なものを用意するために、寄付金を活用した給付事業を開始しました。制度だけでは救うことができない状況を打破するための突破口となる事業で、現在の私たちの子ども貧困対策の柱となっています。

 

 クリスマスプレゼントを届ける活動を始めてから、19年が経ちました。子ども達の希望に満ちた未来を守るために必要な支援活動を作り、以前よりも強く、子ども達を支えることができるようになりました。現在は不登校児が復学できるよう送迎サポートを始めたり、奨学金などの学費資金を保全する事業なども始めています。

たくさんの同じ志を持った仲間と、寄付という形で私たちの取り組みを応援してくれる方たちがいることで、どんなに厳しい生活をしている子がいても、きっと出来ることがあると思える様になりました。立ち向かわなくてはいけない問題はまだまだありますが、きっと子どもの未来は変えられると思いながら日々奮闘をしています。

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