サービスを利用

文字サイズ

  • 標準
  • 拡大

STAFF REPORT

『こんなところで遊んでいる場合じゃない』――その言葉が教えてくれたこと

このレポートを書いた人

介護保険事業統括管理者  内城一人

cb7f0b5616053a55210f89d7a1198ab0-1768981202.jpg

✍このレポートを書いた人

介護保険事業統括管理者  内城一人 (平成15年入職)

 

岩手県出身の私にとって「三芳町」は縁もゆかりもない土地でしたが、就職後20年以上が経過し、ほのぼのとして温かな何だかホッとするこの町には、たくさんの知り合いもでき、今では第二の故郷となっています。大学卒業後、都内の重症心身障害児(者)の通所施設で約6年間勤務しましたが、地域に根ざした福祉への関心と、多くの人に寄り添いたいという思いから、29歳の時(平成15年)に三芳町社会福祉協議会に転職しました。

私が就職した当時、各地域の社会福祉協議会は介護保険事業所を立ち上げる市町村が多く、当法人でも介護保険事業を始めるための準備をしている時期でした。通所施設での経験があった私は、転職早々に介護保険担当となり、開設準備を始めました。ここからの出来事をお伝えします。

認知症専門のデイサービスセンター「けやきの家」は平成17年に開設し、今年で20周年を迎えました。認知症の方やご家族の気持ちに寄り添いたいという思いで始めたものの、認知症の方への対応には毎日試行錯誤の連続でした。大きな声を出す方、帰宅願望の強い方、昼食を終えたばかりでも食べていないと怒り出す方、その中には65歳未満の若い方も数名通所していました。最も若い方は平成24年に通所を開始した45歳の方で、当時はあまり聞き馴染みのなかった「若年性認知症」の方との出会いでした。若年性認知症の方の特徴の一つは、高齢の方とは活動内容が合わないことや、なぜ若い自分がデイサービスに通わなければならないのか分からないなど、様々な特徴があることです。どのような対応が望ましいか分からず、若年性認知症当事者の方の話に耳を傾け、その都度対応してきました。

平成23年、56歳の男性Yさんと出会いました。人を笑わせ、楽しませることが大好きなYさんでしたが、認知症が進行するにつれて苛立ちや不安、大きな声を出すなどの行動が増えてきました。Yさんは活動途中で逃げるように外に出ようとすることが何度もあり、その度に私はYさんを追いかけ、一緒に外を歩きました。夏の暑い日でした。この日もYさんは外に行きたい、帰りたいと必死に訴え、玄関ドアを開けて歩き始めました。私は一緒に歩きながら話を聞き、30分程歩くと疲れてきたようで「けやきの家」の室内に入り、冷たいスポーツドリンクを飲みながら息を切らし、Yさんは「俺はこんなところで遊んでいる場合じゃない。働きに行かないと、妻や家族を守らなくちゃ」と身体全体を使い、大きな声で怒ったように言いました。そうです。Yさんにとっては遊んでいる場合でないのです。責任を持って働き、稼ぎ、家族を守りたかった、その一心から発せられる言葉だったのだと思います。家族や社会の中で、自身の役割を果たしたかったのです。しかし、分からなくなっていく不安や様々な葛藤から大きな声を出し、何とか仕事に戻ろうと必死に訴えていたのだと思います。

Yさんとの出会いから、若年性認知症の方の中には、若いからこそまだまだ「家族を守りたい、働きたい、人の役に立ちたい」といった思いがあることに気づかされました。そんな気持ちに応えるため、「けやきの家」で何かできることはないかと私自身悶々と考えていました。

5年が経ち、平成283月末、新聞記事が目に入りました。そこには「埼玉県デイサービス若年性認知症モデル創業支援事業募集」という見出しがありました。新聞記事のモデル事業所に選ばれたならデイサービス内で若年性認知症の方と活動ができるかもしれない、Yさんの想いを実現できるかもしれないという期待を覚えたことを思い出します。埼玉県庁への申請締め切りは4月中旬でした。大急ぎで法人内で話し合い、「若年性認知症の人が主役になれる活動・人から必要とされる活動」を柱に考え、「若年性認知症の人と運営する子ども食堂」という企画書を書き申請しました。5月上旬、決定通知書が届いた時は嬉しさと期待で胸が高鳴りました。

しかし、若年性認知症モデル事業所に決定したものの、共に活動してくださる若年性認知症当事者が見つかりません。我々の活動を周知するため、「若年性認知症の方と行う子ども食堂」とチラシに記載し、近隣市町村担当課、ケアマネ事業所、認知症関係の病院へ500通ほど郵送しました。郵送した先に1件ずつ訪問し活動の説明をしましたが、6月になっても7月になっても対象となる若年性認知症の方は一人も現れませんでした。仕事の合間に時間を作りながら100件ほど訪問した時のことでした。「何とかまずは話を聞いてほしい」と約束の時間に隣市にあるJ病院を訪問しました。すぐに会議室に案内されると、そこには10人ほどのスタッフが待機し、出迎えてくれました。白衣を着た医師、看護師、リハビリスタッフ、相談員などが座っており、思いもよらない出迎えに緊張しながらも、なぜこのような活動をしたいのかを必死で伝えました。忙しい中だったとは思いますが、真剣に話を聞いてくれる雰囲気が伝わってきました。感謝の気持ちでいっぱいでした。

それから数日後、J病院から情報を聞いたというケアマネジャーから紹介したい若年性認知症の方がいると連絡があり、すぐに来所してもらうことにしました。ケアマネジャーのFさんと来られたのは50代後半の笑顔の素敵な女性Mさんでした。緊張しながらもMさんは話し始めました。「私は訪問介護の管理者をしていました。でも仕事で忘れることがあったり、勘違いしてミスが増え、病院受診をすると認知症と言われてしまったんです。認知症になっていろいろなことが分からなくなり、仕事もやめなくてはいけなくなりました。仕方ないのは分かっているけれど、本当はもっと仕事がしたかった。いつも思い出すのは訪問介護の仕事を終えて2階から見えなくなるまで手を振ってくれるお父さんの顔なの。また来てねって見えなくなるまで手を振ってくれて、その顔を思い出すと涙が出るのよね。認知症になった今の私に何かできることはあるでしょうか?」と不安そうに語ってくれました。

私は「けやきの家」の子ども食堂の活動内容を伝えました。すると、Mさんはすぐにでも手伝いたいと笑顔で言ってくれたのです。Mさんが最初の若年性認知症メンバーとなりました。Mさんはとてもよく動き、明るく優しい太陽のような方です。調理はもちろん、子どもが来ると満面の笑顔で出迎え、子どもたちに声を掛けます。活動時には毎回のように「けやきの家のような活動があると子どもたちも喜んでご飯を食べてくれるし、お母さんも楽になるね」と話しながら、食事作りや洗い物などを精力的に行ってくれました。

Mさんから始まった若年性認知症の方の活動には、これまで延べ15名が参加し、遠方からも若年性認知症の方が通所しています。また、子ども食堂以外に野菜販売や民家の庭掃除など、活動内容の幅も広がりました。しかし、若年性認知症の方の社会参加活動は令和6年に認知症基本法にも盛り込まれているものの、きめ細かな対応や専門的な知識を要する職員が必要なため、広がっていかないことが実情です。また、若年性認知症の方の中には一人暮らしの方もおり、きめ細かな支援が必要なため、私自身日々悩みながら対応しています。

これまで出会ってきた認知症、若年性認知症の方々の言葉や行動の一つ一つが私の学びとなり、礎となっています。「認知症になっても人の中にいることで生活や人生が豊かになる姿」を何度も目の当たりにしてきました。20年前、この「三芳町」に転職した時の志を忘れず、今後も皆さんの声、そして言葉が上手く出ない方々の気持ちにも丁寧に寄り添いながら取り組んでいきたいと思います。

487e1fdc643f64527f0feb393abb63a4-1768981259.jpg

一覧に戻る

その他のスタッフレポート

  • 『こんなところで遊んでいる場合じゃない』――その言葉が教えてくれたこと

    『こんなところで遊んでいる場合じゃない』――その言葉が教えてくれたこと

    介護保険事業統括管理者  内城一人 レポートを読む
  • 「私を突き動かす理由」

    「私を突き動かす理由」

    古川 拓海(社会福祉士) レポートを読む
  • 「それでもまだ、全然足りない」

    「それでもまだ、全然足りない」

    小沼 和矢(社会福祉士) レポートを読む